北白川宮能久親王是什么意思(中文简介)
北白川宫能久亲王(1847.4.1-1895.11.5)日本皇族,将领,伏见宫邦家亲王第九子,孝明天皇养子,生于京都,曾赴普鲁士留学,曾任中将近卫师团长,日本人一般称之为北白川宫能久亲王或能久亲王。乙未战争时攻台时过世,追赠陆军大将。
北白川宮能久親王是什么意思(日文简介)
1847-1895 幕末-明治時代の皇族,軍人。
弘化(こうか)4年2月16日生まれ。邦家親王の王子。安政5年親王となり,得度して公現と称し,慶応3年輪王寺門跡(もんぜき)をつぐ。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽越列藩同盟についたため謹慎処分。のち軍事研究のためドイツに留学。明治5年北白川宮を相続。28年近衛(このえ)師団長となり,台湾支配の指揮にあたり,同地で10月28日病没。49歳。没後,陸軍大将。幼称は満宮。
弘化(こうか)4年2月16日生まれ。邦家親王の王子。安政5年親王となり,得度して公現と称し,慶応3年輪王寺門跡(もんぜき)をつぐ。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽越列藩同盟についたため謹慎処分。のち軍事研究のためドイツに留学。明治5年北白川宮を相続。28年近衛(このえ)師団長となり,台湾支配の指揮にあたり,同地で10月28日病没。49歳。没後,陸軍大将。幼称は満宮。
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