十河信二是什么意思(中文简介)
日本铁道官员,日本名片之一,新干线的创立者,东京帝国大学毕业,早年在满铁任职,是侵华的急先锋,开发过时速130公里的亚洲号列车,1955年被任命为日本国有铁道总裁,他决定建造一条新的高速铁路,把东京和大阪之间的路程从8小时减少到2小时。为此他不惜使用种种不法手段,1964年10月1日通车的时候他已于此前被赶下了台。他的新干线和特有的"光"号列车却从此成了与富士山并提的国家象征,70年代从日本寄往欧洲的圣诞贺卡上,有一半都印着新干线的照片。
十河信二是什么意思(日文简介)
1884-1981 大正-昭和時代の官僚。
明治17年4月14日生まれ。鉄道院にはいり,大正13年鉄道省経理局長。退職後,満鉄理事,興中公司社長。戦後,鉄道弘済会会長などをへて,昭和30年71歳で国鉄総裁となり,東海道新幹線の実現につくす。昭和56年10月3日死去。97歳。愛媛県出身。東京帝大卒。
【格言など】線路を枕(まくら)に討ち死にする覚悟(総裁就任時の言葉)
明治17年4月14日生まれ。鉄道院にはいり,大正13年鉄道省経理局長。退職後,満鉄理事,興中公司社長。戦後,鉄道弘済会会長などをへて,昭和30年71歳で国鉄総裁となり,東海道新幹線の実現につくす。昭和56年10月3日死去。97歳。愛媛県出身。東京帝大卒。
【格言など】線路を枕(まくら)に討ち死にする覚悟(総裁就任時の言葉)
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