有栖川宮熾仁親王是什么意思(中文简介)
有栖川宫炽仁亲王(1835年二月十九日―1895年一月十五日),第9代有栖川宫,八代帜仁长子,幼名欢宫。1849年亲王宣下,以炽仁为名。曾与仁孝天皇女、孝明天皇妹──和宫亲子内亲王订立婚约,但后因公武合体问题婚约被取消。1868年(庆应四年)戊辰战争任征东大总督。他因身份崇高,历任元老院议长、左大臣、征讨大总督、陆军参谋本部长、参谋总长。陆军大将。是明治天皇最信任的人。
有栖川宮熾仁親王是什么意思(日文简介)
1835-1895 江戸後期-明治時代,有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第1王子。
天保(てんぽう)6年2月19日生まれ。国事御用掛となるが,尊攘(そんじょう)運動を支持し,禁門の変ののち失脚。王政復古後新政府の総裁となり,戊辰(ぼしん)戦争に東征大総督,西南戦争に征討総督として出征した。明治10年陸軍大将,22年参謀総長。明治28年1月15日死去。61歳。幼称は歓宮(よしのみや)。
天保(てんぽう)6年2月19日生まれ。国事御用掛となるが,尊攘(そんじょう)運動を支持し,禁門の変ののち失脚。王政復古後新政府の総裁となり,戊辰(ぼしん)戦争に東征大総督,西南戦争に征討総督として出征した。明治10年陸軍大将,22年参謀総長。明治28年1月15日死去。61歳。幼称は歓宮(よしのみや)。
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