本因坊秀哉是什么意思(中文简介)
本因坊秀哉(1874年6月24日-1940年1月18日),日本明治、昭和时期围棋棋士。东京都出身,原名田村保寿。1933~1934年,在读卖新闻社主办的“日本围棋选手权战”中,来自中国的旅日棋手吴清源五段获得优胜,并取得向秀哉名人挑战的资格,这盘棋因执黑的吴清源前三手下在三三、星、 天元而让世人震惊。大正十五年(1926年)九月,代表棋正社的雁金准一七段与代表日本棋院的秀哉名人在《读卖新闻》主办的“院社对抗赛”的首局交锋。对局时,秀哉名人已59岁,他已近10年未参加正式决赛,但作为日本旧制的终身名人、本因坊,他无疑仍是棋界的领袖;取得与秀哉决战资格的吴清源是当时中国籍的青年棋手,又是新布局的主要创立者。
本因坊秀哉是什么意思(日文简介)
1874-1940 明治-昭和時代前期の囲碁棋士。
明治7年6月24日生まれ。本因坊秀栄に入門。明治41年本因坊21世をつぎ,大正3年世襲制最後の名人となる。13年日本棋院の創立に参加。昭和12年本因坊の名跡(みょうせき)委託を決意,13年木谷実を相手に名人引退碁を打った。昭和15年1月18日死去。67歳。東京出身。本名は田村保寿。
明治7年6月24日生まれ。本因坊秀栄に入門。明治41年本因坊21世をつぎ,大正3年世襲制最後の名人となる。13年日本棋院の創立に参加。昭和12年本因坊の名跡(みょうせき)委託を決意,13年木谷実を相手に名人引退碁を打った。昭和15年1月18日死去。67歳。東京出身。本名は田村保寿。
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