浅野幸長是什么意思(中文简介)
浅野幸长(あさのや よしなが1576~1613)日本战国时代至江户时代初期的武将、大名。侍奉丰臣家,参加了小田原之战,文禄·庆长之役,关原之战。关原之战后成为和歌山藩(纪州藩)之藩祖,封37万石。在大阪之阵前突然死亡。
浅野幸長是什么意思(日文简介)
1576-1613 織豊-江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)4年生まれ。浅野長政の長男。豊臣秀吉に側近としてつかえ,小田原攻め,朝鮮出兵に出陣。その功により父とともに甲斐(かい)(山梨県)1国をあたえられた。のち豊臣秀次事件に連座して,一時能登(のと)(石川県)に流される。関ケ原の戦いでは徳川家康に属し,慶長5年紀伊(きい)和歌山藩主浅野家初代となった。37万6500石。慶長18年8月25日死去。38歳。初名は長継(ながつぐ),長慶(ながよし)。
天正(てんしょう)4年生まれ。浅野長政の長男。豊臣秀吉に側近としてつかえ,小田原攻め,朝鮮出兵に出陣。その功により父とともに甲斐(かい)(山梨県)1国をあたえられた。のち豊臣秀次事件に連座して,一時能登(のと)(石川県)に流される。関ケ原の戦いでは徳川家康に属し,慶長5年紀伊(きい)和歌山藩主浅野家初代となった。37万6500石。慶長18年8月25日死去。38歳。初名は長継(ながつぐ),長慶(ながよし)。
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