石川康通是什么意思(中文简介)
石川康通(1554-1607.9.17),日本战国时代至江户时代前期武将、大名。美浓国大垣藩初代藩主。石川家成长子。石川数正堂兄。正室为植村家存之女。官位从五位下长门守、左卫门大夫。
石川康通是什么意思(日文简介)
1554-1607 織豊-江戸時代前期の大名。
天文(てんぶん)23年生まれ。石川家成(いえなり)の長男。徳川家康の家臣。天正(てんしょう)8年父の跡をついで遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川城主。18年家康の関東入りにしたがい,上総(かずさ)鳴渡(なると)(千葉県成東)に2万石をあたえられた。関ケ原の戦いでは清洲(きよす)城をまもり,佐和山城攻略にくわわり,慶長6年美濃(みの)(岐阜県)大垣藩主石川家初代となる。5万石。慶長12年7月26日死去。54歳。
天文(てんぶん)23年生まれ。石川家成(いえなり)の長男。徳川家康の家臣。天正(てんしょう)8年父の跡をついで遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川城主。18年家康の関東入りにしたがい,上総(かずさ)鳴渡(なると)(千葉県成東)に2万石をあたえられた。関ケ原の戦いでは清洲(きよす)城をまもり,佐和山城攻略にくわわり,慶長6年美濃(みの)(岐阜県)大垣藩主石川家初代となる。5万石。慶長12年7月26日死去。54歳。
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