菱刈隆是什么意思(中文简介)
菱刈隆(1871-1952),日本鹿儿岛人,1894年毕业于日本陆军士官学校第五期步兵科。甲午战争任步兵第3联队附。1902年11月28日毕业于陆军大学校第16期。日俄战争期间历任第1军参谋、近卫后备混成旅团参谋、步兵第45联队附。1918年7月24日晋升陆军少将。1929年8月1日晋升陆军大将,1930年6月任第8任关东军司令官、军事参议官。1933年7月任第11任关东军司令官兼驻满大使、军事参议官。1935年8月1日编入预备役,12月23日授予勋一等桐花旭日大绶章。后曾任大日本忠灵显彰会会长、大日本剑道会会长。1952年7月31日病死。
菱刈隆是什么意思(日文简介)
1871-1952 明治-昭和時代前期の軍人。
明治4年11月16日生まれ。日清(にっしん)戦争,日露戦争に従軍。のち第八師団長,第四師団長,台湾軍司令官などを歴任。昭和4年陸軍大将。5年関東軍司令官となり,8年から満州国大使をかねた。昭和27年7月31日死去。80歳。鹿児島県出身。陸軍大学校卒。
明治4年11月16日生まれ。日清(にっしん)戦争,日露戦争に従軍。のち第八師団長,第四師団長,台湾軍司令官などを歴任。昭和4年陸軍大将。5年関東軍司令官となり,8年から満州国大使をかねた。昭和27年7月31日死去。80歳。鹿児島県出身。陸軍大学校卒。
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