里見義弘是什么意思(中文简介)
里见义弘(享禄3年(1530年)-天正6年5月20日(1578年6月25日))是安房国的日本战国大名。里见义尧的长子。初名太郎、义舜,官位是左马头。法号瑞龙院殿在天高存居士。正室最初是小弓公方足利义明的女儿镰仓太平寺住持青岳尼,其死后又娶古河公方足利晴氏的女儿。关于年龄,有大永5年(1525年)的见解。
里見義弘是什么意思(日文简介)
1525-1578 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)5年生まれ。里見義尭(よしたか)の長男。安房(あわ),上総(かずさ)をおさえ,つねに北条氏に対抗。永禄(えいろく)7年下総(しもうさ)国府台(こうのだい)の戦いで大敗,10年上総三船山の戦いでは大勝するが,父の死後は苦戦をしいられ,天正(てんしょう)5年北条氏政と和議をむすんだ。天正6年5月20日死去。54歳。
大永(たいえい)5年生まれ。里見義尭(よしたか)の長男。安房(あわ),上総(かずさ)をおさえ,つねに北条氏に対抗。永禄(えいろく)7年下総(しもうさ)国府台(こうのだい)の戦いで大敗,10年上総三船山の戦いでは大勝するが,父の死後は苦戦をしいられ,天正(てんしょう)5年北条氏政と和議をむすんだ。天正6年5月20日死去。54歳。
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