藤原葛野麻呂是什么意思(中文简介)
藤原葛野麻吕(755-818.12.11),日本奈良时代至平安时代初期贵族。藤原北家、大纳言藤原小黑麻吕长子。官位正三位中纳言。
藤原葛野麻呂是什么意思(日文简介)
755-818 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年生まれ。北家藤原小黒麻呂(おぐろまろ)の長男。母は秦嶋麻呂の娘。延暦(えんりゃく)23年(804)遣唐(けんとう)大使として空海らと入唐(にっとう),翌年帰国して従三位。のち中納言兼民部卿,正三位にいたる。平城(へいぜい)上皇の近臣。薬子(くすこ)の変に際して上皇をいさめ,その功で藤原薬子の姻戚だったにもかかわらず罪をまぬかれた。弘仁(こうにん)9年11月10日死去。64歳。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年生まれ。北家藤原小黒麻呂(おぐろまろ)の長男。母は秦嶋麻呂の娘。延暦(えんりゃく)23年(804)遣唐(けんとう)大使として空海らと入唐(にっとう),翌年帰国して従三位。のち中納言兼民部卿,正三位にいたる。平城(へいぜい)上皇の近臣。薬子(くすこ)の変に際して上皇をいさめ,その功で藤原薬子の姻戚だったにもかかわらず罪をまぬかれた。弘仁(こうにん)9年11月10日死去。64歳。
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