久原房之助是什么意思(中文简介)
久原房之助(1869—1965),日本近代实业家,二战甲级战犯之一。田中义一任首相时曾任内阁递信大臣。1937年七七事变爆发后,提出向中国大陆“进击”口号,推动日本进一步建立对华战争体制。战后曾为中日邦交正常化做出过贡献。1955年10月14日,中国国家主席毛泽东会见日本恢复日中、日苏邦交国民会议会长久原房之助。
久原房之助是什么意思(日文简介)
1869-1965 明治-昭和時代の実業家,政治家。
明治2年6月4日生まれ。久原庄三郎の4男。明治24年藤田組にはいり小坂鉱山を再建。日立鉱山を開発して久原鉱業,日立製作所を創立する。昭和3年経営を義兄鮎川義介(あゆかわ-よしすけ)にゆだね衆議院議員に転身(当選5回),同年田中義一内閣逓信相,14年政友会総裁。昭和40年1月29日死去。95歳。長門(ながと)(山口県)出身。慶応義塾卒。
明治2年6月4日生まれ。久原庄三郎の4男。明治24年藤田組にはいり小坂鉱山を再建。日立鉱山を開発して久原鉱業,日立製作所を創立する。昭和3年経営を義兄鮎川義介(あゆかわ-よしすけ)にゆだね衆議院議員に転身(当選5回),同年田中義一内閣逓信相,14年政友会総裁。昭和40年1月29日死去。95歳。長門(ながと)(山口県)出身。慶応義塾卒。
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