伊能嘉矩是什么意思(中文简介)
伊能嘉矩(1867年5月9日—1925年9月30日),日本人类学者,出生在今日本岩手县远野市东馆町,从小就在祖父的严厉督促下熟读四书五经。1885年至东京游学,1886年1月结婚(1888年离婚),12月开始学习英语。1887年入岩手师范学校,1889年2月11日与菊池房松、鹈饲悦弥、里见朝佑结盟鼓动(闹学潮)而被退学。同年10月进入每日新闻社接任编辑。1901年9月再婚,1904年4月以《台湾蕃政志》向东京大学申请博士学位(1907年撤回)。1906年为照顾年迈的祖父并专心著述请辞一切职务。1925年因在台所染疟疾復发,9月30日,死於岩手县盛冈。
伊能嘉矩是什么意思(日文简介)
1867-1925 明治-大正時代の歴史学者,人類学者。
慶応3年5月9日生まれ。坪井正五郎に師事。明治28年台湾総督府雇員となり,地誌,民俗などを調査。その研究は没後「台湾文化志」などにまとめられ,台湾研究の資料となった。大正14年9月30日死去。59歳。陸奥(むつ)遠野(岩手県)出身。岩手師範中退。字(あざな)は梅陰。号は蕉鹿夢。著作に「遠野方言誌」など。
慶応3年5月9日生まれ。坪井正五郎に師事。明治28年台湾総督府雇員となり,地誌,民俗などを調査。その研究は没後「台湾文化志」などにまとめられ,台湾研究の資料となった。大正14年9月30日死去。59歳。陸奥(むつ)遠野(岩手県)出身。岩手師範中退。字(あざな)は梅陰。号は蕉鹿夢。著作に「遠野方言誌」など。
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