鄭永寧是什么意思(中文简介)
郑永宁(1829-1897)日本明治初期的翻译官、外交官,驻中国公使。生于长崎,其祖先吴一官(郑芝龙)为明朝遗臣,福建泉州府晋江县豪族,明亡子孙流落日本,后归化为日本人,世代担任长崎地方官的"唐务通事",专办中日交涉。
鄭永寧是什么意思(日文简介)
1829-1897 明治時代の外交官。
文政12年8月11日生まれ。代々唐通事の鄭家をつぐ。明治2年外務省にはいり,4年伊達宗城(むねなり)に随行して日清(にっしん)修好条規の締結につくす。権(ごんの)大書記官。のち司法省にうつり「大清会典」に訓点をつける作業にあたった。明治30年7月29日死去。69歳。肥前長崎出身。本姓は呉。通称は右十郎。
文政12年8月11日生まれ。代々唐通事の鄭家をつぐ。明治2年外務省にはいり,4年伊達宗城(むねなり)に随行して日清(にっしん)修好条規の締結につくす。権(ごんの)大書記官。のち司法省にうつり「大清会典」に訓点をつける作業にあたった。明治30年7月29日死去。69歳。肥前長崎出身。本姓は呉。通称は右十郎。
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