貞明皇后是什么意思(中文简介)
贞明皇后(旧名:九条节子。1884年6月25日-1951年5月17日),是大正天皇的皇后。贞明皇后可谓是昭宪皇太后的后继者,不但鼓励养蚕与绢丝工业,同时也对救治癞病、麻疯病的事业相当热心。节子与大正天皇之间感情很好,她打破一般惯例,亲自在丈夫身边帮忙。此外在历代皇后里能生下四个皇子,也是很稀有的例子。大正天皇过世后,贞明皇后每天的生活都一样,在中午以前有绝大部分的时间是在放置天皇遗照的房间里渡过,根据皇后所生秩父宫的证实,皇后认为这就好像服侍还活著的人一样。
貞明皇后是什么意思(日文简介)
1884-1951 大正天皇の皇后。
明治17年6月25日生まれ。九条道孝の4女。明治33年皇太子嘉仁(よしひと)親王と結婚,昭和天皇,秩父宮雍仁(やすひと)親王,高松宮宣仁(のぶひと)親王,三笠宮崇仁(たかひと)親王を生んだ。大正元年皇后,昭和元年皇太后。ハンセン病患者の救済に尽力。昭和26年5月17日死去。66歳。東京出身。華族女学校初等中学科修了。名は節子(さだこ)。
明治17年6月25日生まれ。九条道孝の4女。明治33年皇太子嘉仁(よしひと)親王と結婚,昭和天皇,秩父宮雍仁(やすひと)親王,高松宮宣仁(のぶひと)親王,三笠宮崇仁(たかひと)親王を生んだ。大正元年皇后,昭和元年皇太后。ハンセン病患者の救済に尽力。昭和26年5月17日死去。66歳。東京出身。華族女学校初等中学科修了。名は節子(さだこ)。
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