四条隆資是什么意思(中文简介)
四条隆资是为后醍醐天皇讨伐北条氏,实现中兴的计划尽心竭力,南北朝分裂后与北畠亲房并列,辅佐后醍醐,后村上两代天皇的忠心耿耿的人物。
四条隆資是什么意思(日文简介)
1292-1352 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
正応(しょうおう)5年生まれ。四条隆顕(たかあき)の孫。後醍醐(ごだいご)天皇の正中(しょうちゅう),元弘(げんこう)の2度の討幕計画にかかわり,建武(けんむ)政権の有力公卿となる。南北朝分裂後も後醍醐天皇にしたがって吉野におもむき,南朝で従一位,権(ごんの)大納言にのぼる。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年5月11日,男山八幡で足利義詮(よしあきら)軍とたたかい,戦死。61歳。左大臣を追贈された。
正応(しょうおう)5年生まれ。四条隆顕(たかあき)の孫。後醍醐(ごだいご)天皇の正中(しょうちゅう),元弘(げんこう)の2度の討幕計画にかかわり,建武(けんむ)政権の有力公卿となる。南北朝分裂後も後醍醐天皇にしたがって吉野におもむき,南朝で従一位,権(ごんの)大納言にのぼる。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年5月11日,男山八幡で足利義詮(よしあきら)軍とたたかい,戦死。61歳。左大臣を追贈された。
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